母親たちへの思い

なぜ、母親たちのためにそこまでするのですか?と、
聞かれることがあります。

著書の中でも述べているように、20代の育児経験や苦労が
僕を突き動かしているのは間違いありません。

もっと突き詰めて考えると、多くのことが根底にはあります。
母親、中高の同級生、お付き合いしてきた方々、
身の回りの女性たちはとても優秀な女性ばかりでした。

たとえば母親。
実家は飲食店で共働き。
盆や正月には多くの従業員も泊まり込みで72時間働き詰めのような環境です。
頭もよく本当に立派な彼女は、家事も育児も親戚づきあいもこなしながら、
いつも過労で倒れては寝込んでいました。
小学校の頃の絵日記を読み返すと、看病の話が頻繁に出てきます。
大好きな母親が目の前で弱っているのは辛いものです。

中高の同級生も、名だたる大学を出て学者や医者へという水準の女性たちが、
キャリアを諦めて(かなり割合は低いものの)専業主婦になっていたりもします。
今の会社でも、僕より優秀な女性がワンオペ育児で時短勤務に収まっています。

彼女たちは『女性だから』『母親だから』というだけで
男性よりも遥かに多くの家事や育児の負担を強いられています。
就業や賃金でも圧倒的に不利な立場に置かれなければならない理由を、
果たして我々は明確に説明できるでしょうか?

入学試験で男性より良い点数を取っても不合格にされる理由を、
果たして我々は明確に説明できるでしょうか?

確かに男性にも『男性だから』という理由で強いられる負担はあります。
しかしそれは、一般的な女性が強いられる負担に比べれば小さく、
就業や賃金では多くの場合で(無自覚なまま)有利な立場にあります。

僕自身も育児をする前は、やっぱり他の男性たちと同じように無理解で傲慢でした。
強烈に違和感を持ちつつも、見えないフリをして面倒なことを女性に押し付けてしまっていた。
育児の時にも至らないことが多くて、多分たくさん嫌な思いをさせてしまいました。

自分自身の多くの反省も踏まえ、
こんなイビツな世の中は我々の世代で終わらせたいという思いがあります。

『働く母親にやさしい社会』は、『誰にとってもやさしい社会』に繋がるのですから。